麻雀が中国全土に広がった背景には、戦争の緊張感がありました。太平天国の乱もそうですが、兵士が気を紛らわせるのに、博打はうってつけだったのです。中でも花札は多くの兵士に愛されました。

その意味では花札も麻雀の源流の一つに数え挙げることが出来ます。花札も含めて、博打の道具は複雑化することで、より本格的なゲームに成長しました。

牌の枚数も増加し、一部には150枚を超えるゲームも存在しました。もちろん多過ぎてもゲームとしては成立し辛かったため、次第に収斂されていったと考えられます。実際、現代の花札と言えば、春夏秋冬の牌が代表的です。東王、南王、西王、北王といった牌も残ってはいますが、風牌といった区分けがされており、ジャンルの異なるゲームとして定着しています。

麻雀の成立過程に戦争があったことはお話しましたが、麻雀で用いる牌の名称にも、その名残を認めることが出来ます。例えば、天王、東王は、太平天国の乱で称された王号に因むものです。王号は沢山存在したため、花牌の種類もそれだけ増えたと考えられています。ところで麻雀をする人にはお馴染みの「東南西北」については、面白い見解が出されています。中国における方角の呼称が東南西北であることに起因するものですが、実はこの順で呼ぶのにも理由があったのです。

それは方位の位階に従ったからだというものです。つまり、東が一番高く、南、西、北と続くわけです。東は太陽が昇る方角であることから最高位とされており、寒い北が最低位とされているのです。方角だけではありません。方向の左右にも中国では位が存在しました。「左遷」という言葉にも表れている通り、右を高位とするのが一般的だったのです。

そのため、麻雀でも右回りになると考えるのが自然ですが、実は親との関係から結果的に左回りとなり、それがルールとして定着したと言われています。

今では全自動麻雀卓で行う麻雀がより気軽にできるということもあり大衆娯楽として若者の間にも浸透しているそうです。こんなにも長い間愛され続けているなんてと驚いてしまいました。

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