指輪

指貫き

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道具としての指貫きは、装飾、護符、権威などのために用いられた指輪とは目的を異にしているが、広い意味においては指輪の範曙に入れることができる。というのも、指輪のルーツは、この生活に必要な道具の機能をもつものがもっとも歴史的に古いとされるからである。たとえば弓矢を射るときに、とくに親指につけた革製の防具とか、農業をはじめ、各種手作業をするときにも、指を守る指輪に似た小物の防具が用いられた。針仕事の際の指貫きもそのひとつであり、これはアジアやヨーロッパでも長い歴史をもっ。女性は昔から、糸つむぎとともに、裁縫が本来の仕事として義務づけられていた。これらをうまくこなしていけるものが、しあわせな家庭を築くことができるとされた。それはヨーロッパでは、『糸つむぎ棒の福音書』やメールヒエンのなかに、勤勉に仕事をする姿が手本として数多く示されている。

裁縫のときに女性が用いた指貫きは、運針の際に作業能率を上げたり、中指を守るために使用された。日本ではかつて指輪型が、ヨーロッパではキャップ型が多かったが、ここではドイツの指貫きについて述べよう。ドイツのそれは最初イタリアから導入され、長い歴史をもつが、文献にあらわれるのは250年である。とくにニユルンペルクが指貫き生産の中心地であって、当地の記録によると、一1373年に指貫き作りの職人について述べられている。ニユルンベルクは地理的にイタリア、フランス、ブランドル、北ドイツ、ポーランドとの貿易や交流の中継地として、中世から商工業が発達していたので、指貫きの生産もこの都市が中心地になったものと考えられる。

指貫きの生産はギルドによっておこなわれていたが、ドイツでは十二世紀ごろからギルドがはじまり、ライン中部地方を中心にして各地に広がっていった。その際、指貫き製造の業種においてすらギルドがつくられていたところから判断すると、この需要が相当のものであったということや、ドイツのギルドの業種の細分化と職業の独占が進んでいたことがうかがえる。

ニュルンベルクは十六世紀に指貫き生産の最盛期をむかえるが、この世紀のおよそ百年間に、200~300人の親方、職人、徒弟が作業に従事し、百万個以上の指貫きを生産したと見積られている。輸当時の労働時聞は朝五時から夜十九時までで、一日の生産量は「女性用の鋼、真鎗製の指貫き」の場合、35~40個、「先が中空の仕立て屋用」は70,80個程度であった。個数に差があるのは、前者の家庭の裁縫用に用いるものが、キャップ状になっていて製作がむつかしく、後者の方が構造上、作りやすかったからであろう。

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